さしずめブスッ

私、幸せだったんだなと今更気付いた。祖父母4人に愛情を貰ってる事分かったつもりで居たけど、母方の祖母私のおばあちゃんなんだ!?って祖父が亡くなって13年も経ってるのに、それから知った俺の馬鹿さ加減が伺えるだろう、のうのうと暮らしてた。向こうの家のおばあちゃんおじいちゃんなんだ、と思ってた。私の母親の母親だけど、関係性は今思えば、俺的には一線引いてて薄かった。会おう、と思っても家族ではないのだし、従姉妹や親戚の認識で会わないを選択してた。馬鹿すぎる、失って初めて物凄く愛されてた事を初めて意識して知った。母親は14年前に昔やってた農業の手伝いで事故死になりかけた事もあるし、ずっと印象的に覚えてるとある日、親戚と喋った後部屋から出ると何故か知らないけど一人俯いて泣いてて、死ぬほど辛い日々を乗り越えて今の笑顔があるんだろうし、私はそれを無下にして、愛してくれよと叫んだ。愛せないよ。愛がない、ほとんどの愛がない人は。父親もクソヤロウな時もあるけど俺だってある。凄く辛くて何度もしのうとしたけど、私は、小学6年生のお祭りで楽器を弾かなきゃいけなくて、それでひきこもりを脱出した時にね、町内会のノート見たんだよ、それにね、名前が書いてあってね、毎回出てるわけ、で、俺は家にひきこもってるじゃん、で、どんなに肩身が狭い思い押し倒したんだろうって泣いた。だから俺を殴る蹴る追い出すを水に流した。ここに書いたように、歪んだ考え方をしてしまったり、狂ってる様な物の感じ方があるけど、それは誤差の様なもんだからそのままにしとく。毎日じゃないし、これ以外は優しかったDV男。まあ、恨んだ事こそあれど、やっぱ親だから、愛が強いよね。腹立つとしねばいいと思うけど、実際死んだらどうやって生きていけば良いのか、何をしていけばいいのか正直わからない。それが今日になるか明日になるか1年後になるかその時にしかわからないけど、私は腐った自分の性根を変えるんだと父親の親友のおばさんに手紙で宣言した。結局片想いしてた近所のお兄さんに告白は出来なかったけど、この気持ちは嘘じゃない。私は、救いたいんだ。良く思う、アルバイトしてるとお客さんで、DV男だろうなと思える人と居る女性。昔ながらの女性蔑視で馬鹿にして自分の馬鹿さ加減を見せてくる馬鹿な親父さん。友達になりたいお姉さんにイケメンお兄さん。良いことも悪いことも何も救えないけど、私さえも救えないんだから当たり前のことじゃない。お節介で言っても長年の上下関係はその当人が変わる気がないと、共依存してるんだよね、こういうのは。デブをデッドラインまで太らせる恋人みたいに。
苦しいけど、この苦しみが、俺を憂く。