無意識下

で食事をしてはいけない・食事をしてはならない。と強く思う。トラウマを思い出した翌日に半年ぶりに朝食を摂取して、そんな自分がいることに、信じられないが・・・気が付いた。嘘だと言ってよジョー!ラブシャッフル(2009)
私はひきこもり時分、強く生きてはいけないというきょうはくかんねんの元暮らしていた。それは両親からの視線だったり兄弟への関係性だったりと原因は様々だ。生きてはいけないと思うのは凄くない。けど江戸っ子並みに当時は学校に行かないは死刑に処するべきだろうと自分を責めていた。そして矛盾しているが自責の念によって落ち込む事でしか生きていく術を知らなかった。私はこんなに狂う程苦しいんだから生きてたっていいだろうと傲慢になってくる。それらが根底にある。何度か、食事ってどうやってするんだっけ…?と認知症患者の様に、食事の手順がわからないのだ。何をすればいいのか、わからない。どうやって食べたら良いのかわからないから、混乱する。次に何を食べたら良いのか。でも、食べなきゃ。不安ながらも繰り返して治ったりした。そんなこんなを十代で忘れて危機感を募らせたりもした。ウチは裕福ではない為に質素な食事を基本とする家庭だった、とことん食に関して両親は興味がなかった。それがいけないとは言わないが、母は食が細くて、白米を命に考えた献立しか出さない。24年間ほとんど白米欠かせない日々で、食べたくなくてもおかずはないわけだから、食べるしかない自分がイヤでイヤで仕方ない。まあ、諸々あって、俺はクソ野郎になってしまった。で、食事をしたくない。と強く思うようになった。食事をしたって、何の意味も無いのだから。だけど三日毎にアニメや二次元や好きな人が出る番組や音楽で生きた。でも、ほんとうにつらいときはしんでもいい。今日しんでもいいと許可してリミッターを外すと自分をそのときだけは許せて、きょうしぬんだから、と、ごはんをたべれるようになった。死を持ち出してやっと死を取引材料にしてやっと私は私と対話出来る。死ななきゃならない。が私の根本の中に沈んでいるから、死んでないと変なんだ。最近はそうしてマインドコントロールして生きる変な毎日だ。